NPO KEEP ON RACING  
KEEP ON RACINGとは? KEEP ON RACINGの活動 注目を集めるKEEP ON RACING KEEP ON RACINGを応援するメンバー あなたもチャレンジャー KEEP ON RACINGの出張授業
 

HISTORY 〜KEEP ON RACINGヒストリー〜
KEEP ON RACINGって何?という方は多いと思います。そんな方のためにヒストリーをご用意しました。是非ご覧にになってみてください。
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最初は、自分へのかけ声だった

「KEEP ON RACING」とは、太田哲也にとって事故後、最初の仕事となった『Tipo』誌の連載エッセイのタイトルとして生まれた言葉だった。1998年5月に起きた事故から半年が経った頃のことだ。

利き腕ではない左手で書いたものが、そのまま題字となった。
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-  その後、2001年5月に『クラッシュ』を出版。3000通にも及ぶ手紙やメールが太田のもとに寄せられた。

「自殺しようと思っていたけれど、中学に通うことにした」「鑑別所にいたけど高校受験する」「リストラにあったけど、自分と家族のために頑張ってみる」。

自分と同じように傷ついた人たちにエールを送るつもりだった太田は、「元気が出ました」と書かれた多くの手紙やメッセージを読み自分の存在意義を見出し、逆に自分が励まされていることに気づく。そして、この頃から「KEEP ON RACING」の意味合いも変化してきた。

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 そんな思いが膨らみ、著作活動だけでなく、後に始まる講演活動、レース活動、善意の活動を通して、「生きることにチャレンジし続けよう」と考えてもらう「きっかけ」になりたい、という気持ちから太田哲也が主宰となるメッセンジャーチーム「KEEP ON RACING」は産声をあげた。

「やりたいことはたくさんある。でも、僕ひとりではできそうもない。だから、みんなの力を借りて『KEEP ON RACING』を設立しようと思いたったんだ」(太田)


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「クラッシュ」を読んだ女子高生から来た1通のメール

 講演活動は、女子高生から来た1通のメールがきっかけだった。


「私は愛知県高校生フェスティバル実行委員長をしている女子高生です。私たちは、学校の枠を超えて高校生が1万人集まるお祭りを開催します。そこで太田さんに、私たち高校生に向けて生き方や熱い思いを語っていただけませんか?」
「お祭り」とは、愛知県下約50の私立高校が中心となり年1回共同開催しているフェスティバルのことである。彼らは、このフェスティバルを通して阪神淡路大震災など災害のボランティア活動に取り組んだり、経済的な理由で学校へ通えなくなる仲間をひとりでも救おうと始めた「1億円募金」などを行っていた。 -
このイベントに太田は2001年11月に講師として招かれた。以来、太田は全国の学校、病院、青年会議所主催のイベントなどに招かれ講演活動を行っている。

講演先である学校の教師から、こう言われたことがある。

「最近は、子どもに頑張れと言えないんです。昔なら、これぐらい頑張ればこういう大学に入って、こういう仕事に就いて、こういう将来が開けると言えたけど、今は就職難や不況で先が見えない。希望がもちにくいんですね」

だからこそ、太田の言葉に彼らは反応し、感情を揺さぶられるのだろう。事故に遭い、どん底の精神状態から、周囲に支えられ、自分を受け入れ、希望を見出し、生き続けてきた経験を聞いて−。

たしかに今の若い人たちは大変だと思う

でも、僕の事故の経験から言うと、僕も希望がもてず先のことなんて思い描けなかった。でも、先は見えないけど、やるだけやってみよう。そう思って一歩踏み出したら、展開が変わってきた。車が運転できた。職業にしていたサーキットにも戻れた。本を書いた。歩きはじめたら、新しい道がひらけてきたんだよね」(太田)


講演後には、たくさんの手紙が後を絶たず寄せられる。

「僕も自分だけが、とは思わず、まわりを見たいと思った。そして、行動したいと思った。いっぱい幸せを感じてみたいと思った」(17歳・男子高校生)

太田さんの話を聞いて、幸せというものは高いところにあるものじゃなくて、
身近なところにあるものだと思えるようになった。でも、人生は、幸せばかりじゃないと思う。すべてが幸せだったら、それは幸せではないと思う。つらいことや悲しいことがあるから、小さなことも幸せだと思えるようになるんだと思う」(15歳・男子高校生)

「『生きることはつらいことだけど、辛いぶんだけ喜びも多い』という言葉、絶対忘れません。部活、勉強の両立や人間関係などいろいろ悩みはあるけれど、この言葉を胸に刻んでいれば何事も乗り越えられる気がします。事故から3年間も辛い治療にはげみ、また車に乗れるようになったなんて、すごいと思いました。私もいつかどんなことがあっても捨てられない夢を持ち続けて、悔いの残らない人生を一生懸命生きたいです」(14歳・女子中学生)
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語るだけでは説得力がない。自らチャレンジを続けなければ
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「語るだけでは説得力がない。自らチャレンジを続けなければ」という気持ちから、太田は右手足にハンデを負いながらもレース活動を続けている。

レース復帰は、2002年のこと。仲間たちからの誘いがきっかけだった。


事故後、「これ以上、手足の機能回復の可能性は見込めない」と言われ、福祉車両を薦められた太田だったが、実際に運転を試みたことで身体の機能が回復していくのを感じていた。いわば、運転することがリハビリにもなっていた。

「こういうことをやりたい、と身体に教えていくとできるようになるんだよね」(太田)

レースに参加してみることで自分の可能性を確かめたい、という気持ちも沸いてきた。

2002年12月、TIサーキットで行われたアルファロメオチャレンジ全国統一戦で、「KEEP ON RACING」チームから参戦した太田は、ハンデがある車で渡り合い、一番でチェッカーフラッグを受けた。

2003年、さらに転機が訪れる。アルファロメオの総輸入元、イタリアに本社をもつフィアットオートジャパン(FAJ)が、「KEEP ON RACING」をサポートしてくれることになったのだ。ハンデを負いながらも、太田がアルファロメオに乗りレース参戦を通してチャレンジする姿に共感したからだ。 -

この年も小排気量の車で大排気量のライバルと戦い、グランドチャンピオンを獲得。3シーズン目となった2004年は、最高峰となる「スーパーレーシング」クラスに参戦した。あえて市販車改造車、セレスピード(AT)、しかも重量のあるスポーツワゴンという不利な車でチャレンジ。

- 協賛企業や個人会員である「KEEP ON RACINGクラブメンバー」の名前をマシンに貼り、応援してくれる人たちの思いを乗せて走り、東北シリーズチャンピオンに輝いた。

レースは僕にとって恐怖の対象でもある。
でも、チャレンジした先にきっと何かがある。だから、変化を恐れないでやっていきたい。身体に障害がある僕がレースに出ることはKEEP ON RACINGの精神の表現だ。『まだ終わってない!』ということを自分に対しても、壁にぶつかっている人たちにも証明したい」(太田)
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未来に受け継がれていくもの〜CHALLENGE TOGETHER

「KEEP ON RACING」は、これまで講演やレース活動を通じて、とくに若い世代に夢と生きる喜びを伝えてきた。

また、火傷を負った子どもたちへの寄付を毎年、続けている。

今後は、これまで行ってきた活動に加え、そうした善意の活動も広げていくため、新たなスタッフ、協賛企業、クラブメンバーにも参加してもらい、"チーム"として一緒に前進していきたい。
チームとして一緒に前身していきたい -
つまり、「太田哲也個人」から「KEEP ON RACINGチーム」へと規模をさらに拡大し、より影響力をもつ活動団体として「チャレンジ」の数を増やしていくつもりだ。

そして、私たちが推進する活動を実現するため、経済面でも基盤を作り、各地域の人々やさまざまな人たちの協力と理解を仰ぎながら、めざすは世界に誇れるような活動団体へ、と「KEEP ON RACING」の志は高い。


人間はひとりで生けているのではない

人間はひとりで生きているのではない。周りの人のなかにあって自分が生きていくからこそ喜びがあるし、人に何かをしてあげることによって、その人が喜んでくれ自分に何かが返ってくる。KEEP ON RACINGの活動に参加することによって、たくさんの人がそういう思いを実感してくれたら−。

そして、「KEEP ON RACING」のスピリットや活動がずっと生き続け、


100年後の未来に生きる人たちに、私たちの「KEEP ON RACING」が受け継がれていますように。


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