伊藤真一選手インタビュー
「震災、そして復興へ。たくさんの人に被災地を自分の目で見てほしい」


―3月11日に東日本大震災が起き、伊藤選手は、その後、支援活動、そしてレースへの復帰を通して被災者を勇気づけるなどあらゆることをされてきました。当日の様子をお聞かせください。

伊藤●岩沼市で経営している店の近くのコンビニにいた時に地震が起こりました。しばらく動くことすらできず、経験したことのない揺れでした。まず心配したのは会社で社員やお客さんが下敷きになったりしていないか、すぐに戻り無事を確かめました。物は倒れていましたが、人的被害はありませんでした。その後、従業員の身内の安否確認をしていた時、津波がくるという一報を知りました。とはいえ、1〜2mぐらいではないかという話でしたので、大丈夫だろうと思っていました。ところが、仙台空港がすごいことになっているということを知り、これはただ事ではない、と。裏に見に行くと阿武隈川の堤防が溢れる寸前でしえた。浜の方は、ひどい惨状で、夕方には遺体が何百体とあるという知らせもありましたが、もう暗くなっていてその日は動けませんでした。

―伊藤選手は、すぐに動き出されましたよね。

伊藤●翌日、朝いちでバイクで見に行きました。水が引かなくて通れないところだらけでしたけど、バイクで堤防をいったり、状況把握に努めました。もう、全て壊滅状態、遺体はそこらじゅうにある、という状況で自衛隊の方々が救出活動を行っている。修羅場でした。

―それから助けに行かれることを始めたそうですね。

伊藤●お客さんも親戚も海沿いにいる人が多かったので、3〜4日は連絡がとれない状況でした。その後、連絡がとれるとみんな食べ物がない状況でしたので、バイクに詰めるだけ詰めておにぎりを作ってリュックに背負い、運びました。4日目には連絡もとれるようになり、それから2ヵ月、いや、3ヵ月毎日、うちの店を拠点に石巻、山本町、亘理町などあちこちずっと通いました。

―親戚の方々も亡くなられたなか、そうした支援を続けられていたことを知りました。

伊藤●相馬市の下の磯部が実家で、7人亡くなりました。本家の裏が堤防という場所でしたので、津波で流されてしまった。今頃になってもまだ葬式が出ることもありますし、今でも着ている服で遺体の身元が判明しているような状況ですからね。海にもたくさんの方々が流されたままです。

―支援活動を始められたきっかけは、何だったのでしょうか。

伊藤●最初は知り合いを助けにいきました。そこで、あちこちからSOSを聞き、食べ物がない、水もない、という話をたくさん聞きました。最初に石巻に行った時には、家も流され、避難所にもどこにいるかわからないし、人づてに聞いてやっと探してという感じでした。とりあえず、着る物、履物、水もなかったので渡しました。3ヵ月ぐらいそういう感じでしたが、特に最初の1ヶ月はひどかったですね。遺体が転がっていて、「〇〇さんがいるのでお願いします」という貼り紙があったり、車の中で亡くなっているままになっていたり。

―伊藤選手は、ご自分の名前も名乗らず、粛々と助けに行かれておられました。

伊藤●困っている人が目の前にいたらやることがある。順番みたいなもので、たまたま自分たちは動くことができた。暮らしも裕福だった方でもお金も家もすべて流され、着る物すらないという現状を目の当たりにしました。自分たちはすごい贅沢をしていたんだなと実感しました。それに自分がもし、会社も家もなくなっていたら、どうだっただろう…。だから、自分たちは恵まれていたのだと思います。

―その後の支援活動はどのようなことをされていらっしゃるんですか?

伊藤●太田さん始め皆さんのご支援金などで、バイクを20台送りました。また、今は頼まれたものを集めていますが、要求も刻一刻と変わってきていて、今は、扇風機やベッドとか家財道具が必要になってきていますが、それも場所によります。自治体の動きがしっかりしているところもそうでないところもありますし。

―昨年、引退された伊藤選手でしたが、5月にレースに復帰されました。その思いは「被災者を勇気づけるため」だったそうですね。

伊藤●最初は、出ることに抵抗がありました。自分がそういうことをやっている場合じゃないのではないかと思いましたし、野球やサッカーなど他のスポーツも当時は「やるべきかどうか」といろいろ議論がされていましたよね。でも、自分が出ることで被災者にエールを送れるのであればと決断しました。正直にいえば、仙台市内や、全国のサーキットに行っているときは、なんでもない日常や震災が起きたことが信じられないような時間がある。でも、また被災地に戻れば、何も変わらない現実がある。そこにずっといる人たちが本当に大変だと思います。

―何千年に一度とも言われる震災でしたからね。

伊藤●そうです、何千年に一度と言われる震災に、たまたま遭った。僕は、自分の子どもにも今の被災地の状況をみせておきたいし、皆さんもやっぱり現地に見に来てほしいです。今は、かなり片付いたところもありますし、キレイになったところもあります。まだ海には行く気持ちにはなれませんが…。

―鈴鹿8耐で見事に優勝されましたが、今後のご予定をお聞かせください。

伊藤●バイクの活動は少し落ち着くと思います。4輪ではS耐なども機会があれば今後も参戦し、あとは、地元に密着して、地元の復興をしていきたい。菅生もハイランドもまだまだ走っている人は少ないです。みんなで力を合わせてやっていきたいです。震災特需もありますし、悪いことばかりじゃないと思って、取り組んでいきたいですね。

―最後に応援していただいている皆さんにメッセージをお願いします。

伊藤●ご支援いただいた皆さんの気持ちは、届けることができました。太田さんのように行動力のある人が動いたから皆さんの寄付も集まったのだと思います。モータースポーツに携わる人たちは、震災後、本当に早いタイミングで物資を送ってくれたり、もってきてくれたり、支援をしてくれました。リスクや死をわかっているからこそ、スピードが速いのだと思いました。自分もモータースポーツ界の人間として非常にありがたかったですし、誇りに思いました。今後ともよろしくお願いします。